音楽に宿る“マジック”の正体

2025/05/15オルト

好きなアーティストのアルバムを沢山聞いてると
「マジック」がかかったような時期や、
なぜかその「マジック」が無くなった、
と感じる時期があったりする。

 

凄いメンバーを集めても「マジック」が
逆に無くなったというのよくあって、
あれってなんだろう、、と思う。

 

アストルピアソラはキンテート(5人編成)の
「タンゴゼロアワー」の時期が神がかっている。

なんだけど6人編成になった時期から、
ウソのように全くマジックが無くなった。

演奏が下手、とかじゃなくて何かあの、怒涛の
エネルギーの塊が抜け落ちた感じだ。

 

音程にもリズムにも音色にも表れない、
何かわからない物が喪失した感じ。
6人編成時の変態ジャズベースは好きだけどね。

 

ビルエヴァンスはスコットラファロという、
ベーシストがいた時代は凄いマジックがあった。

ラファロは金は返さないし、しまいには
ヤクでラリって事故で死ぬというダメ人間。

あの「ワルツフォーデビー」の録音の数日後だ。

 

そんなダメ人間なのにラファロを失ったビルは
ボロボロに落ち込んだ。

気持ち、めちゃくちゃ分かる。
創作をする上での両輪の片輪を失ったのだ。

その後、秀作が多いビルエヴァンスだが、
「あのマジック」は無くなったように思う。

 

津軽三味線の高橋竹山の最後のステージを
テレビで見たことがある。

鬼気迫る演奏はどこへ行ったのか、
最後は公民館のようなところで祭りのハッピを
着せられて、「ぽろん」とやっと音を出してた。

 

最後まで現役をやった竹山に感動したし、
ファンとしては、マジックが無くなった竹山、
ビルエヴァンス、ピアソラも愛してやまない。

 

ジョンボーナム(レッドツェッペリン)の最後
Tour Over Europe 1980の直後亡くなるのだが、
その演奏が凄い。

彼のいつもの安定感が崩壊し、怒涛のドラム
鬼神のような鬼気迫るドラム演奏で、
メンバーがついていくのがやっと、という感じの
つんのめった、とんでもない演奏をしている。

 

ツェッペリンのバンドマジックはギリギリある
でも、いつものツェッペリンのマジックじゃない

マジックの失い方がボンゾらしいな、と思った。
そして彼の死後、
二度とツェッペリンにマジックは戻らなかった。

 

こうして思うと「あのマジック」を求めて
ぼくらはバンドをしている気がする。

自分の話で恐縮だけど、アニングスドラゴンの
前身バンド「クアルテートリプリ」が解散して、

 

自分一人で「シュレディンガーの猫」という曲を
録音し仕上げたことがある。
※現在もYouTubeやサブスクで聴けます。

 

けっこう力作、秀作なのに全く「マジック」が
かからない。

曲、音程、リズム、クォリティ全て、
これまでの作品の中で最高のものを作ったのに。

自分一人では私の場合は無理なんだ、と痛感。

 

結局、あの「マジック」は何なのか、
分からないけど私にはバンドが必要ということ
それだけは分かった。

多分それはメンバーが誰でもいいわけでも、
優れた演奏者だったら良いわけでもないだろう。

 

正直、アニングスドラゴンだと私は3割り増し
で演奏できている。なぜかは分からない。

 

メンバーには申し訳ないが、みんなもそう。
アニーだと3割り増しになってる。

こう言うと怒られそうだけど、たぶん、
本人たちも、周りの人も分かってる気がする。

 

「ケミストリー」なんて軽い言葉では表せない、
周波数の合う人のエネルギーが掛け算されたとき

なんだか分からない「マジック」がかかる。

 

それを求めて音楽やってる気がするんです。