アニメ『ルックバック』の感想(ネタバレあり)

2024/12/06オルト

映画館で見ようと思ってたのにタイミングが合わず、
先日Amazonプライムビデオで見ました。

たった1時間の作品ですが、話題どおり刺さりましたー。

 

マンガ書いてる人だけではなく、私のように曲を作ったりとか
作品を作っている人には刺さると思います。

 

クラスで一番マンガが上手いことに、いい気になっている性格の悪さや、
勝てない、と思ってしまうような脅威の存在が出てきたり。
自分の部屋と全く同じようなスケッチブックが山積みの同志を見つけたり。
自分の作品のファンという人が現れて小躍りから全力疾走のシーンなんか。

ほんと自分に起こったことのようでした。

 

このシーン↓↓↓グッときます。作品を作るのって華やかではなく
尋常でない夢中の努力(努力とも思ってないのですが)なんだって伝わってきます。

それが子供のころだとしても。

 

 

ここからネタバレありで書きます。
よく実際の事件がモデルになってると聞きます。それはそうなんだろうけど。

 

私には別の話に見えました。
バンド活動してたら必ず体験する「仲間を失う話」だと私には見えた。

 

一見、引きこもりの京本の方が圧倒的に画力があり才能があるように見えるのですが、
藤野と違って京本はストーリーが作れない。

分かっているから京本は藤野のファンだし、ある時までは二人は完全な補完関係になる。

 

バンドでもあるあるなんですが、ある大きな結果をバンドが出したとき、
そこをゴールと決めて辞めてしまうメンバーが出てきたりする。

 

リーダーが頑張れば頑張るほど、メンバーとの距離が離れていく。

 

そんでおなじみの言葉「他にやるべきことがある」と言葉を残して去っていく。
「他」とは他の音楽活動だったり仕事だったり色々だった。

 

もちろんバンドは船みたいなもんで、目的地が同じ方向なら乗っていけばいいし、
自分の目的地に到着したなら降りてもかまわない。
東京が目的地の船なら、大阪や京都が目的地の人を東京まで乗せてくわけにいかないじゃん。

 

そうなんだけど、もしかしたらこの人に「本来の自分」ではないことを強いてきた私がいて、
そのことがこの人から結果的に音楽を奪ってしまったかもしれないと思う時がある。

 

京本は「自分本来の道」を模索しようと美大に入る。
そこで事件が起こり、京本は暴漢に襲われ命を落とす。

 

ツルハシを持った暴漢は、京本の中にいるもう一人の自分と感じました。
あのシーンは「画家としての京本」が死んだということなのかなと。
暴漢は絵を描くのを辞めてしまった京本自身のメタファーではないか、と捉えることもできるかも。

 

藤野は自覚はないが自分の中に「原子炉」を持っていて、周りを歪ませる毒性と破壊力を持っている。
全てのクリエーターには高熱の核(コア)があって冷却装置とか補器類を沢山稼働させてなんとか普通のふりをして生きてます。

私程度の者ですら小さい小さい原爆を抱えてます。

 

そういう者がいなければ平和なのに、一人そういった人間がいると周りの人たちは自分の行動を歪ませてしまう。

 

私は何人か「天才」と出会いました。
そのたび憧れ、嫉妬し、自分を卑下し、追いつこうとして焦燥し、感じなくてもよかった感情で苦しむことになります。
「天才」と一緒に活動していたときなんか、この高熱すぎる原発をなんとか制御してコントロールしようとまで。(いちばんやってはいかんことだった。人を変えようとする行為だった。結果的に足を引っ張る形になり離れていった)

 

京本は藤野と出会わなければ絵を描くことを辞めずに済んだかもしれない。

 

なんか自分のバンド人生とかぶる部分があって、勝手な解釈しちゃってるかもね。
私にとって「ルックバック」を観た1時間は、音楽を辞めていった元同志たちへの鎮魂歌に聞こえたよ。

 

ここまで読んでくれたあなた。
実は私、過去にそんな感じの作品を書いております。
27歳頃作ったんですが、今聴くとかなりイヤミだのう。
(若い頃はそういうこと多いからにゃあ)

これも何かのご縁。聴いて行っておくんなはれ~